バズワードという魔法のことば
こんにちは。
ころっけです。
最近覚えた言葉、「バズワード」。
知恵蔵の解説によると、バズワードとは「一見、説得力があるように見えるが、具体性がなく明確な合意や定義のないキーワード」である。ネット上のIT辞書の説明によると、バズワードとは、頻繁に使われている言葉にもかかわらず、その言葉の使用者同士でもその言葉の意味や定義が不明確で、何を指しているのか曖昧な言葉のことである[2]。さらに別の説明をすると「何だか凄そうだ(と感じられる)けれど、曖昧で、よく分からない」という言葉である[1]。
つまり使っておけば良い言葉ってことですね。
で、何が言いたいかというと
思考停止に陥っている人が多いと思うわけです
例えば、
なにか悪い経験をした時に聞かれる言葉
(自分に対して言い聞かせる感じで)
「いい経験だったな〜」
だとか
なにか考え事をしている人に対して
「考えすぎるのは良くないよ^^」
とかです。
こういう言葉を聞く度に
「(どうしてこんなこと言ってるんだろうな〜)」
と感じるのです。
一つ目の例の
「いい経験だったな〜」
っていうのは悪かった経験を無理くり納得させるために自分に言い聞かせているもので、
問題点を無視しようとしていると思います
そうじゃなくて悪い経験だったら素直に悪かったと言い聞かせ、
なぜ悪かったのか。また次良い経験をするにはどうすればいいのか
と考えるところまで持っていかないと自分自身成長は無いと思います
「考えすぎるのは良くないよ^^」
についても同様で、思考停止しています
考えているのか、悩んでいるのかも知らずにこの言葉を使うべきではないと思います。
悩んでいるなら、その問題を解消させられるように一緒に考えるべきだし、
ほんとうの意味で考えているのであれば、
「今のまま考えても無意味だから、一度リフレッシュしてから考え直せば?」
であったり
「考えるよりも、むしろ行動に移したら?」
というべきなのです。
しかし現実はそんなことお構いなしに、
考えすぎること=悪
という慣習に囚われています
こういう人はかっこ悪いな〜と感じます。
古い慣習をそのまま自分の癖にして、それを広めていこうとする姿勢は、本当に見習いたくありません。
その意味でホリエモンは少し好きです。(異常なくらい合理主義者ですが)
とまあ口が悪い記事になりましたが、今回はこのくらいで。
んじゃの!
本レビュー【ゼロ なにもない自分にイチを足していく】
こんにちは。
ころっけです。
夏に向けてお金を貯めなければならないにも関わらず、
昨日本を3冊購入してしまいました
・ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく
・スタンフォードの自分を変える授業
・世界のエリートはなぜ、この基本を大事にするのか?
この本、「ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく」はホリエモンが出所後に書いた第一弾目となる本です
この本を完結に著すと、”若者を啓蒙する本”です
内容はホリエモンのルーツを辿るもので、あまり語られてこなかった幼少時代から始まり、刑務所で感じたこと考えたことを淡々と書かれていて、とても読みやすい本でした。
印象に残ったことは、ビジネスの本質は
時間=お金ではなく
労働=お金である
です。
もともと企業は労働を確保したいから、労働者を雇っているのですが、
明確な労働というものは、範囲選択がとても難しくまたそれに対応する賃金も決定できないのです
ゆえに企業は労働者の労働時間をお金で買い取り、労働者は自分が企業に捧げた時間の分だけ賃金をもらうという構図になっています
なので、構図から言えばホリエモンが言っていることは間違いなのですが、
本質はホリエモンが言っている通り、労働つまり社会に対して付与した価値を賃金として受け取るべきだと思います
このまま議論を進めていけば、終身雇用だの成果主義だのという話になり兼ねないので深堀りはせずにいきます
感想としては
ホリエモンってなんか普通の人間なんだな〜
といった感じです
出所後という理由か、40歳を超えて落ち着いたという理由なのかは
同一人物には見えませんでした
内容自体は軽いものなので、みなさんも是非一読してみてください
んじゃの!
バングラデシュって…
こんにちは。
ころっけです。
私は学生で、Facebookを眺めているとよく出てくる内容があります
バングラデシュで新規事業!!
最貧国のバングラデシュを応援しようプロジェクト(仮)
よくありますね〜これ。
このプロジェクトでよくあるのが
ミサンガつくります!
だとか
教育して仕事につけるようにしましょう!!
だとか。
なんていうか、これって意味あるの?と思ってしまうころっけです。
バングラデシュに行った学生が、現地の生活を目の当たりにして、
それに感化されて大体の学生が何かしらのプロジェクトを立ち上げる
みんなやっているのにその数が減らないってことは、本質的な解決になっていないって気づいていないんでしょうか?
そもそもミサンガ作っている人が多すぎて価格競争とか起こっていないのかなとも。
確かに何もやらないよりは、何かしらやった方が良いに決まっているのですが、
プロジェクトを立ち上げる段階で満足してしまっている人が多数いるのかなとも思います。
こういうプロジェクトを就活ネタ()に使おうとしている人もいると思います。
挙句、「この経験を通してリーダーシップ()を身に付けました!」だとか
「世界の人々を幸せに出来る御社で働きたいんです!」とか言い出す輩。
なんなんだこの現状は、と思います。てか就活って歪みすぎだろとも。
もっと本質的な部分に目をつけて、事業を行っていけば良いのになーと。
この動画はそれを教えてくれています。
バングラデシュの人たちが、今必要としていることって本当に仕事そのものなのでしょうか。
ぶっちゃけ、自己満足したいだけじゃね?
自己満足な事業って成功しなくね?
等々勝手に妄想していた土曜昼下がりのころっけでした。
んじゃの!
iphone5Cを考察してみる
散々安っぽいと批判され、遂にはAppleは終わりだと囁かれる発端となったiphone5C。
というのが、Apple陥落説の主軸です。
私がこれを覆すために考えたファクターは、”5Cの狙いは、Appleが行っている学割の制度と近いのではないか”というものです
向こう(私サイドから見たらディベートの敵という設定)の言い分を整理しましょう
5Sは依然として値段設定は変わらない。
→一方5Cは廉価版として売りだされ、いろいろな顧客に対して購買意欲を沸かせようとしている。
→これは市場シェアを獲得しようとする考えである。
→Appleは今まで顧客シェアを獲得しようとしていた。
→今までの流れと逆の流れを起こそうとしている
→これは昨今の日本の電機メーカーのごとく経営がぶれることと酷似している
→日本の電機メーカーは衰退している
→Appleはもう直衰退するだろう
ということです
Appleの強みの一つに”定期的なモデルチェンジ”があります。
一度iPhoneを購入したユーザーは(2年という期間とお金の縛りが無ければ)NEWモデルには飛び付くでしょう。
こうさせるほど、iPhoneには魅力があります。
逆に魅力があることがわかっているから、半年に1度というペースでNEWモデルをリリース出来るのでしょう。
これはAppleサイドからすれば
「しめしめ。あの青二才め、まんまと策略にハマってやがる」
といった感じでしょうか。
つまりこれがAppleがユーザーにさせたいことではないでしょうか。
とある学生が社会人なりになった時に、
「スマホどうしような〜。あ、俺PCはMacだった!ってことは、いろいろと共有できるiPhoneがいいのか(゚∀゚ )」といったような縦と横の繋がりで次の製品を買ってもらおうとしているのではないでしょうか。
5Cリリース以前は、体験のための方法が学割しかなかった
しかし5Cにより、Apple製品を体験してもらうためのコマが1つ増えた
といった感じではないでしょうか
今考えられるのはこれぐらいです。
また何かネタが出来たら投稿します
それじゃの!